「自分はあの人より劣っている」「なんで自分はいつまで経ってもこんなことも出来ないのだろう」
「またあんなことをしてしまった」
何か上手くいかないことがあると自分で自分を追い込んでしまう。「自分はダメな人間なんだ」と。
仕事終わりに自転車を漕ぎながら思うのはそんなみじめな気持ちばっかりだった。
手を抜いているつもりはない、一生懸命やっている。それでもまわりの人のようには上手くいかない。
こんな感情が解消しないまま仕事を続けていくのはしんどかった。
「劣等感」に苛まれる
自分で自分を否定する状態
ところで考えるときの出発点は比べること。対比させること。
今回は正反対の言葉は何かを手がかりにしてみた。
劣等感の対義語は何だろうとググってみたら「優越感」だとでてきた。
優越感、つまり他人より自分の方が優れているという認識。
べつに自分の方が優れていると思いたいわけではなく、ただ自分を認められればそれでいい。
劣等感にしろ優越感にしろ、自分が勝手に誰かと比べて落ち込んだり快感に浸っているだけのこと。
ならば自分の視点さえ変えられれば劣等感から抜け出して、自己肯定できるんじゃないか?
まず劣等感を抱く相手ってどんな人か?
結論からいうと自分に似た価値観の人、手の届くレベルの人だということだ。
「この人は自分と近い価値観だから仕事がしやすい」
「でも自分にはない能力をもっている」
「自分に似た人なのにあの人は出来て、自分には出来ないのだろうか」
相手を同一視してしまい、相手との埋められない差異をどうにかして埋めようとしてもがいている状態。
埋められない差異を埋めようとするのは、相手の土俵で勝負しようとして負けてしまっているのと同じだ。
つまり劣等感とは相手の強みで勝負しようとしているってこと。そりゃ相手の強みで勝負したら負けるのは当たり前だ。
相手の土俵で戦ってなんで自分は負けたんだって。戦略としては甘いよね。
「自分の土俵ってなんだろう? その土俵が活かせるのはどこだろう?」
毎日勝負をするなかで自問自答を繰り返す。ここでの勝負とは自分を活かすということ。
自分を活かせたなあと感じる場面があれば、それが自分の土俵になっていく。
ここでその劣等感を抱かせてくれる存在はとても大切なんだと気付かされる。
「自分にはしっかりと劣等感を抱かせてくれる存在がいる」といえるのはとても幸せなことだと思う。
なぜって相手の土俵(強み)で勝負するのではなく、自分の土俵はなにか?を意識してそこで勝負しなさいを常に教えてくれるから。あなたの土俵はそこ(相手の土俵)じゃないよって教えてくれる。
それに劣等感を抱く相手って自分に近い価値観の人だから協力し合うこともできるはずで、だからお互いの強みが掛け合わさってより強固な土俵で勝負できるようになるんじゃないか。
【今日の学び】
劣等感は自分の強みの出発点
日常の違和感から小さな学びを