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大人になると感情のバリエーションが貧しくなる
こう思ったのは、不自由なく暮らせているのに何か「物足りなさ」を感じるから。
物足りなさは感情の希薄化からくるのではないか?
日常の記憶は感情と紐付いている。人間は感情の力で記憶をしている。
時間が経過するなかで感情が記憶を書き留めてくれる。記憶力の良い人は感情が豊かなんだと思う。感情が豊かなのは子どもたちだ。子どもを見ていると泣いたり笑ったり怒ったり、大人とは違った感情のバリエーションを見せてくれる。大人の感情は精緻で伏せられたものに対し子どものは単純で爆発的なもの。
子どもは大人になるにつれて感情はあまり見せない方がいいと学習させられていく。そのうち感情を表現することが悪いことのようになってしまうと、自分の感情さえもわからなくなってしまう。感情がワァーっと湧き上がる瞬間にパッと蓋をしてしまう。その蓋の向こうにはもうひとりの自分がいるのに。蓋が開きそうになる度、もうひとりの自分が叫ぶ。
「自分の感情を大切にしてほしい」「自分の感情を信じて」と
でも大人になりたければ、感情は抑えろと大人達の声がきこえる。からだが成長するにつれて心も大人にならないといけない。
こうやって自分の感情と向き合ってこなかったのだから、相手の感情を理解しようとはならない。
「自分は言いたいことをグッとこらえてきたのにあいつはなんだ」
相手は自分の感情を表現しただけ。なのに相手を理解できない。
その感情はその感情のまま存在していい。感情を表現するのが上手いのが大人だと思う。
表現方法は気を付けないといけないが、大人になっても感情表現はすべきだ。
感情は誤った判断を導くが、人を理解するには一番の案内役になる。
その人が何を大切にしているのか、つまり価値観で人間はできている。
相手は何に怒るのか、何が嬉しいのか。人は感情の積み重ねできている。感情の積み重ねが人の価値観を形成する。
だから感情表現はすべきだ。
だけど感情はフッといなくなってしまう。
怒りの感情のピークは6秒と言われるように、消える前に捕まえないと思い出すことが難しくなってしまう。感情に囚われすぎるのもよくないが、そもそも人間の感情は雲散霧消してしまうもの。
だから大人こそ日記をつけて欲しい。自分の言葉で自分の感情を表現できるようになれば自分がどんな人間かわかるようになるし、相手の感情がどうなのか気になってくる。
最初は書いて感情表現できるようになると、話し言葉も変わってくる。自分の思いがあるから言葉でも表現したくなってくる。自分の言葉で思っていることが伝えられるようになると余裕が出てくる。「自分の思いは言葉にできる」と。
「言葉にすると世界が変わる」
大げさかもしれないが、今ままで感情を抑え言葉にしてこなかった人間からするとそれくらいインパクトがある。「言いたいことが言える」はとてつもなく大きい力になる。
そうすると相手の言葉を待つ余裕が出てくる。「この人は何を考えているのだろう、しっかり聞いてみよう」この関係が継続的に、そして広がっていけば自分を信じる力、自信につながると思う。
自信とは信頼関係のこと
自分の意見をしっかり発信して相手の価値観も理解しようとして困った時は助け合える関係。
一方的に自分の言いたいことを伝えるだけじゃなく、目の前の人が何を言いたいのか理解しようとする。それが2人の間で繰り返し行われていくうちに信頼関係ができ、自信が持てるようになる。
「この人とはつながりができた」
そして2人から3人と広がっていくことで、自分の居場所ができてくる。
「自分はここにいていいんだ」と。
おわりに
思いつくままに書いてまとまらなかったが、感情は人を知るセンサーだと。
今どうなっているのか、これからどうしたいのかを知るセンサーだ。
「ん!?どうした?なんかあった?」くらいの
だからセンサーは判断しない。できない。判断するのは意思だ。